信号機のない町
こんにちは、ツナです。
春休みなので、地元の友達と金沢旅行に行きました。
古い町並みって、どうしてあれほど心が惹かれるのでしょうね。人が多すぎて、じっくり見る暇があまりありませんでしたが。
ついでに能登半島を車で1周してきました。
日本の北西端らしいですね。
能登は結構寂れた町が多く、小さな漁村だったり農村だったりがちまちまと連なっています。
そういったところでは車通りも当然少なく、数キロ走っても信号機がないところもあります。
気になって調べたところ、今の日本には『信号機が1機もない市町村』は存在しないようです。ただし、北海道の礼文島には1機のみ設置されています。
これはつい最近設置されたもののようで、そもそも礼文島はそこまで栄えた町という訳ではありません。設置された理由は、『子供たちが信号機というものを知らないと、将来島から出た時に困るから』ということらしいです。
これには正直、感心して唸りました。
現在の日本は、どんな辺境の村であっても少なからず現代化された設備があります。必ずアスファルトで舗装され、電気が通り、ガスボンベによって火元を確保しています。
つまり、寂れた田舎で育っても、東京の大都会に少なからず適応することが出来るはずなのです。しかし、この『信号機1機』を知らないだけで、我々は命を落とすことになりかねません。
より抽象的に言えば、我々が日常目にしているもの、ありふれた景色から何か一つでも失われた時、我々の生活は容易に狂い始めるのです。
そう思うと、我々の『普通』というものは奇跡的に維持されたもので、いつでも覆ってしまうように感じてきます。